エンペリウス 四章
六節の前
「できたああああああああああ!」
すわ、何事。
ユディールに帰還してからというもの、クランドは矢継ぎ早にメッシェがよこす案件に頭を悩ませ、領主としての公務に精を出していた。ある程度は片付いたからさあ一息入れようかと思った矢先の事である。
奇声を上げながら廊下を走る音。領主の部屋の扉をノックもせずに勢い良く開けたのは、他でもないクランドのお抱え魔術師、クラエスだった。
「ここしばらく顔を見ないと思ったら、随分とまた騒がしいね」
「研究室に篭りっぱなしだったんだから仕方ないじゃないさ。頼まれた通りの物を作るのに奮起してたの」
目に隈が出来ている。
「何か頼んだっけ」
「うわ素」
無論冗談であるが。
以前頼んだ通信用具の開発に専念できるよう、必要な道具や材料を求められるがままに与える許可を出したのはクランドだ。忘れるはずもない。
さておき。
「ま、覚えてるさ。それでクラエス。出来たと言うからには、本当に出来たんだろうね」
「無論勿論、出来たともさ。口頭より見てもらうのが早いと思って持ってきたんだけれども」
差し出されたのは二個の石。掌程度の大きさで、黒く透明感のないものだ。角はなくのっぺりとしているように見えるが、よく見ると非常に細かく文字が刻まれている。その為光沢がない。
「ただの似たような石にしか見えないけどね」
「ただの石じゃあないさ。類感を利用しようと思ってね。同じ形状に削って、同じ魔術文字を刻んである。魔力の入力によって母機が発光するようにしてあるんだけど、子機への呪的感染で、直近の魔力を消費した同一の発光反応が起こる。これはメルキウス派の大師称を持つお方が発見した原理を用いたもので」
「ああいや、その。そういう原理の部分はよく分からないから飛ばしてくれ」
ぶう、とつまらなさげにクラエスが口を尖らせた。
「じゃあ使い方だけ説明しておくけれど」
彼女が片方を取り上げると、その表質が薄ぼんやりとした光を帯びた。次の瞬間にはぱっと消滅する。その明滅に合わせ、机の上に置かれたもう一方が光る。
「クランド君なら分かると思うけれど、魔力を流すことでこうやって光る。一から十まで言われた通りに作るのも何だから、多少は色を変動させられるようにしてみたんだけれど。色を変えるのはね、こう、黄色くなれー、黄色くなれーと。もしくは赤くなれー赤くなれー」
白色だった光が、黄色、赤と変わる。よくよく見ると、石の表面で光っているのは文字だった。色ごとに光る文字が違う。
「赤に対応する文字、白に対応する文字と分けて刻んだから疲れること疲れること。一個辺り五日は必要だねえ、こりゃ」
「いや、助かるよ。ありがとうクラエス」
いいってことよ、と魔術師は胸を張った。ぼいん。
思わず眼が行きそうになるのを堪えて、クランドは手の内で石を玩ぶ。幾度か明滅させ、色を変えて遊んでみる。
「うん。予想外にいい物だ」
モールスより便利だ。ONとOFFの組み合わせで通信する事を考えていたクランドは、そこに色彩を混ぜ込んだ事でもう少し多くの情報量を詰め込めるな、と思った。
「とは言え、魔力を用いて送受信を行うのなら、それは――」
クラエスはうん、と頷いた。
「これを使うのなら、魔力を扱える人間の養成、ないし魔術師を招聘して組み込む事が必要になる。誰でも使える物に出来なかったのは、その――」
「いや。いいさ、君はよくやってくれた」
養成にもクラエス一人では荷が重かろう。
ならばいっそ開き直って彼女のツテから魔術師を呼び込むべきかもしれない。顎に手を当てて考える。
「決めた。よし、決めたぞクラエス」
「何をさ?」
「魔術師を呼ぼう。ただし君の信頼できる人間に限定してくれ」
クラエスは喜色を浮かべた。
「本気?」
「本気だとも。魔力の扱いに長けた人間が必要となるなら、その訓練を積ませた兵を作らなければいけない。クラエス一人では手が足りないだろう」
「それはそうだけれど。でも私の技術が足りなかった結果でもあるし」
「そこまで都合のいいものを求めちゃいないさ。君が責任を感じる事はない」
クランドが手を振った。
「それに、君も義務や命令でなく手を貸してくれているんだ。ありがたい事だよ」
「今更今更。それに目立ったオテツダイだってそんなにしてるわけじゃない。知ってるよ、私がタダ飯食らいって陰口叩かれてる事もね。働け働けって」
耳聡いんだな、とクランドはため息をついた。確かに使用人の間で交わされるそのような話は、陰口であるとは言ってもそれなりに聞こえてくるものだ。
「魔術師だと広く公言すれば他領の貴族方に付け入られる事になる。君のお手伝いを表に出す訳にもいかないのさ。とは言え、そろそろ君の立場も割り振っておかないと不自然にも程があるから何とかしておきたいところだけれど」
「じゃあ愛人で!」
すぱっと挙手するクラエス。
「はっはっは。僕は激しいぞう、耳年増処女め」
「な、何で分かったの……」
「カマかけただけだ」
想定外の切り返しで彼女の髪の下の顔が僅かに赤くなる。してやったりと言ったところだ。クランドが勝ち誇った笑みを浮かべた。
女魔術師が思考停止から解除される。何とか返しの言葉を出そうとするが頭が回らないようで、顔を赤くしたままあーだのうーだのと唸っている。
「ええと、ええと、馬鹿ー!」
ふ。
勝った。
クラエスは来た時よりも激しくドアを開いて逃げ去っていった。入れ替わるようにしてメッシェが入室するが、珍しく無表情の上っ張りに驚きの色が乗せられている。
「……一体、何が」
「僕も伊達だけでこの地位に座ったわけじゃないって事さ。何度か相対すれば勝利の方策も見えて来ると言う物だ」
偉そうな事を言ってもただのセクハラである事には気づいていない。
さておき、とクランドは話を切り替えた。
「書類仕事は置いておくとして、先にこっちの話を片付けよう、メッシェ」
クランドは机上に座する石を軽く叩いた。魔術師がこの部屋に持ち込んだ物だろうと見当をつけて、メッシェは目を細めた。であれば、かねてからの物が出来たのだ。
「詳細についてお聞きしましょう。クラエス殿は交えずともよろしいのですか?」
「重要な部分だけは聞いたよ。疲れているようだから、今は休ませてやるのがいいだろう」
通信用に製作されたその魔具は『信号石』と呼称される事となり、練兵中だったルアンも呼び出されて有用性を説法された結果、まずは魔術師の招聘と通信兵の教育、必要数の製作が終了した後に軍事演習ないし手頃な野盗を見つけて実用試験に持ち込もうという事になった。実際に有用であると判断できたならば、量産を進めて軍の規模拡大に合わせ導入する。ただし配備は軍事よりもメッシェの放った密偵が先である。そこまで話し合ってクランドは難しい顔になった。
「……有効距離と運用条件について聞くの忘れてた」
ルアンとメッシェは同時に大きなため息をついた。
ちなみに、処女と看破されたのを気にしたのか、自室で張り型ひとつ握り締め、いやいや待て待て私、などと呟く女魔術師の姿があったとかなんとか。
注釈
素… ・_・
モールス信号…音の長短の組み合わせで文字を通信する事ができトントンツートントン。極めると密談に応用できて便利という噂がある。
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